廃業寸前から人気旅館へ。負債10億を抱えた老舗旅館「陣屋」のピンチを救ったDX経営とナレッジマネジメント
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廃業寸前から人気旅館へ。負債10億を抱えた老舗旅館「陣屋」のピンチを救ったDX経営とナレッジマネジメント

PKSHA Communicationマガジン

株式会社PRAZNA(プラズナ)が、さまざまな企業のナレッジマネジメントやDXの取り組みを紹介するマガジン『ひとりの「知ってる」を、みんなの「知ってる」に』。第8回は、旅館業としては異例のDX化を実現し、属人的な情報管理の組織から、ナレッジ共有によるフラットな情報公開組織へと変化した神奈川県・鶴巻温泉の老舗旅館『元湯陣屋』(以下、陣屋)の事例を紹介します。

創業100年を超える老舗旅館・陣屋ですが、2009年には借金10億円を抱え、半年後の倒産が見えている状況でした。その危機を回避したのが、4代目社長の宮﨑富夫さんと4代目女将の宮﨑知子さんが主導して開発したクラウド型旅館・ホテル管理システム「陣屋コネクト」。情報管理のデジタル化と、それによるスタッフへのナレッジ共有が陣屋にもたらした変化について、知子さんにお話を伺いました。

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元湯陣屋 宮﨑知子さん
大正7年から続く老舗旅館『元湯陣屋』の4代目女将。2009年の着任から夫・富男さんとともに、旅館内の情報の「見える化」に着手。当時、倒産危機に瀕していた旅館を ITを駆使することで立て直すことに成功した。(写真提供:元湯陣屋)

「手書き」「記憶頼り」の情報管理からの脱却

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▲人気老舗旅館『元湯陣屋』。創業当初より将棋の対局戦の場として使われている客室「松風」が有名(写真提供:元湯陣屋)

――知子さんと富夫さんは、負債が10億を超えて廃業寸前だった陣屋に2009年に着任。そこから業務のデジタル化による旅館の立て直しに成功しました。しかし、お二人とも旅館業については未経験だったそうですね。

当時、夫はホンダで燃料電池開発チームのエンジニアをしていて、私は第二子を妊娠したタイミングでした。二人とも後を継ぐことは全く考えていなかったのですが、義父の逝去と義母の入院によって陣屋が経営者不在となってしまい、夫に白羽の矢が立ったんです。しかし、すでに半年後の資金ショートは見えていましたし、私たちは旅館業について知識も経験も不足している。何から始めればいいのか分からないところからのスタートでした。

――実際には、どこから立て直しを進めたんですか?

現状のままではいけないと思いながらも、素人が下手に手を出してしまえば現場は混乱してしまいます。そのため、最初の一カ月くらいは、誰が何をしていて、どう動いているのか、陣屋の運営状況を観察していたんです。

すると、素人でも状況の深刻さが分かってきました。まず、情報の管理がすべて手書きの資料か、担当者の記憶を頼りに行なわれていたんです。データをもとに分析するという発想もなかったので、経営判断のために情報を集めようと思っても、細かいデータの内訳がどこにもない。極端な話、経営のためのデータが決算書しかない。

詳細な数字を知るためには、予約台帳や会計書の紙をすべて引っ張り出してきて、電卓を叩いて集計するしかありません。たとえば、調理場でメニューの原価率が変動していても原因を突き止められませんし、食材のロスが増えていても「今月は宴会が少なかったからですかね」くらいしか分からない状況でした。

――全体の数字しか把握していない、どんぶり勘定状態だったんですね。

お客様の情報に関しても、手書きメモでの伝達が基本なので全体への共有は難しいですし、情報の蓄積はベテランの方や女将さんの記憶頼り。なので、その方がお休みすると社内にはお客様の情報がなくなってしまいます。さすがにこの状況は変えなくてはいけないと思い、まずは顧客台帳のデジタル化から考えました。

それと並行して、夫は夜間の社会人向けセミナーに通い、旅館業の知識を深めていました。そこで旅館業における流動資産や会計の考え方、業界のトレンドについて学び、宿泊施設の管理システムを導入する必要があると考えたんです。でも、当時は欲しい機能が揃ったソフトがなかったので、自社開発することに。「欲しいものがないなら、作ればいい」と、夫のエンジニア精神に火がついたんです(笑)。

――しかし、富夫さんは燃料電池開発というハードのエンジニアであって、システムのエンジニアではないですよね。どうやって開発を進めたんですか?

そこが私たちの運が良かったところでして。タイミング良く、フロントに元SEの方が応募してきたんです。履歴書を開封した経理の係から「この人はエンジニアしか経験がないのでどうしましょうか」と声がかかったので、不思議がった主人が履歴書を一読したところ、「これほどの技量のエンジニアはなかなかいない。会ってみる」と。当人は「職種を変えたい」との希望でフロントに応募してくれていたのですが、話を持ちかけた結果、その方に開発を担当してもらうことになりました。そして作り上げたのがクラウド型の旅館・ホテルシステム「陣屋コネクト」です。


情報をすべて公開することで、社内で情報格差を生まない

――陣屋コネクトによって、何ができるようになったんですか?

まず陣屋コネクトの開発にあたっては、最低限の機能だけを実装して、使いながら機能を増やし、改善を続けていく形をとりました。最初から機能の充実を図るよりも、直近の運営を円滑にすることの方が重要です。そのため、リリース当初は予約管理と顧客管理の機能だけでした。

その後は、現場のメンバーの声を取り入れながらカスタマイズの繰り返し。今では、日々の業務をデジタルで行うだけでデータが蓄積され、経営分析までが自動でできるものになりました。もちろん、デジタルに関するリテラシーが高いメンバーばかりではないので、彼らにとって使いやすいことも考慮しています。たとえば、デジタルデバイスでの打ち込みに慣れていなかったのでクリックベースで操作が進むようにしたり、閲覧したい情報をすぐに見つけられるようにダッシュボードで一覧表示したりなど。現場の意見を汲み取りながら、エンジニアと細かく調整して開発をしました。

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▲ かつては肌感覚で運用していた調理場も、現在は様々なデータを分析し業務に活かす(写真提供:元湯陣屋)

――現在、陣屋コネクトでは、どのような情報を管理・運用しているのでしょうか?

仕入れや在庫といった日々の業務に直接関係してくるデータのほか、顧客情報や予約情報を閲覧・編集することができ、それ以外の業務や社内に関する情報を社内SNSの機能でグループごとに投稿・管理しています。運用としては、基本的にはカテゴリーに紐づけて情報を蓄積していくというルールです。あまり無秩序に情報を置いても、今度は情報に溺れてしまいますので。陣屋コネクト内に蓄積されている情報は、個人の人件費以外は陣屋の預金残高まで含めてすべての従業員に公開しています。

――すべての従業員に同じ閲覧権限を付与しているということですか?

そうですね。というのも社内で情報格差が生まれると、従業員同士のコミュニケーションに影響が出てしまうんです。

――どういうことでしょうか?

同じ肩書きであっても、情報の風上にいるメンバーの方が立場が強くなってしまうということです。たとえば、フロント係や予約係はお客様の情報を扱い、取得しやすいポジションにいます。そこから接客係や清掃係に情報が降りてくるわけですが、このときに業務に関する「依頼」が発生するわけです。通常時であれば、特に問題はありません。しかし、忙しいときにはつい言い方が強くなったり、横柄な態度になったりしてしまうときもあります。それが繰り返されるうちに、従業員同士の雰囲気が悪くなってしまう。だからこそ、全員が同じ情報を取得できるようにして、フラットな関係性にしました。

システムの導入以前から、従業員からは「後輩に偉そうに指示したくない」「言わなくちゃいけないけど、嫌われたくない」という声は上がっていて、情報の閲覧権限を平等にすることで、そこが改善したんです。

加えて、すべての業務についての情報を開示することで、従業員のマルチタスク化を進めるという意図もありました。自分の管轄外の業務を急に頼まれたら、抵抗を持つ方も多いと思いますが、その業務に関する情報を持っていると「それくらい手伝うよ」と、ハードルが下がるんです。

――なるほど。確かに最初から情報が開示されていたら、自分で判断して動くことができるので指示を待たなくてもいいし、率先して仲間を手伝うことができますね。

瞬間的なナレッジ共有と、蓄積型のナレッジ共有の両軸

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▲ 従業員一人ひとりにデジタルデバイスを付与し、活用している(写真提供:元湯陣屋)

――一方で、情報に自由にアクセスできても、従業員の方がみなさん当事者意識を持っていないと上手く活用されないようにも思います。当事者意識を持ってもらうための施策もあるのでしょうか?

そのためにも、従業員には一つひとつの業務において私の判断を仰がずに、お客様にとって良いと思ったら、自分の判断で進めていいと伝えています。もちろん、分からないことがあれば相談には乗りますが。

また、私たちは業務中、インカムを繋いで従業員の音声が常に全員に届くようになっています。音声の共有とともに自動でテキスト化もされるため、業務中に発生したやりとりは、すべて陣屋コネクトの中に蓄積されていくという仕組み。なので「昨日も同じことあったよね」とか「先週もこんなことがあって、そのときもOKが出ていた」など、自然と判断の精度が高くなるんです。

――業務中のやりとりが瞬間的に共有され、ナレッジとして蓄積していくんですね。素晴らしい仕組みです。

他にも、社内SNSにはお客様からいただいた苦情と、それに対して私が書いた詫び状を載せています。それを踏まえて、マニュアルもどんどん改善していくのですが、その内容も社内SNSで「#マニュアル」と検索すればすぐに確認できるので、業務について迷う機会は少ないのではないかと思います。

現場で瞬間的に共有する情報と、蓄積型で陣屋コネクト上に積み重ねていく情報の2種類を持っているのが、私たちの強みですね。


情報を蓄積していくことが、次の世代への置き土産になる

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▲ 「陣屋コネクト」は社内に留まらず、クラウド型旅館・ホテル管理システムとしてリリースされ、さまざまな宿泊施設で活用されている(写真提供:元湯陣屋)

――お話を聞いてみて、陣屋コネクトによるデジタル化はとても合理的な取り組みだと感じました。もともとデジタルとは無縁だった陣屋の従業員の方に慣れてもらうまでには大変だっただろうと想像しますが、どうでしたか?

完全に慣れるまでには2年半かかりましたね。初めは予約係やフロント係、私などのごく少数のメンバーだけで使ってみて、そこから調理場など他の従業員にも少しずつ使ってもらう形で広げていきました。使用するデバイスも、デスクトップPCやノートPC、タブレットやスマートフォンなど、試行錯誤しながら従業員に合わせて貸与して。キーパーソンになりそうな人には、最新機種などをお渡しすると社内インフルエンサーとして他の従業員の方に使い方などを教えてくれるので、そうやってみなさんに慣れてもらいました。

それでも、やはり初めは半信半疑で使い続けていたとは思うんです。大きく流れが変わったのは、現場でお客様からお礼を言われることが増えてからですね。陣屋コネクトで顧客情報を確認すれば、「お客様が半年前に何を食べたか」や「以前はどんな理由で来てくれたのか」といったことがすぐ分かるので、それをお客様に伝えると「覚えてくれていた!」と距離が縮まり会話も弾むことが増えたんです。

そうするうちに、今までは書いたほうが早いと言っていた方でも、入力してデータを蓄積していくことの価値を少しずつ肌で感じ始めてくれた。第三者から褒められたり、お礼を言われたりすることは、重要な体験でしたね。

――旅館は、接客業の中でもお客様と接する機会や時間が長いこともあり、情報がもたらす価値はとても高いように思います。

おっしゃる通り、お客様の情報が宝だと思っています。取り組みを12年間続けてきましたが、これは世代交代のときにも活きると確信しています。私と主人が陣屋に来たとき、お客様の情報は社内にありませんでした。でも、今は社内にすべての情報があるので、もし私と主人が不慮の事態で経営を退くことになったとしても、何とか当面の運営はできると思うんです。情報を蓄積することが次の世代への置き土産になる。この仕組みを続けることで、世代交代がスムーズにできるのならば、そこにこそ価値があるのではないかと思っています。


取材を振り返って

「老舗旅館」と「DX」と「ナレッジマネジメント」という意外な組み合わせに、初めは頭の中に「?」が浮かびました。もともと陣屋さん内での情報管理は、人の頭の中か手書きメモのみで、まさに担当者頼りの状態。そこから少しずつデジタル化と従業員への啓蒙を進め、今ではナレッジマネジメントの価値を皆さんが理解しているとのこと。ナレッジマネジメントどころではない「情報のデジタル化が0」という状態から、管理システムを自ら作っていくまでの流れは、まるで物語のように感じました。この成功事例は、DXから遠い業界の方々にとって、とても励みになると思います。「情報を蓄積することが次の世代への置き土産になる。この仕組みを続けることで、世代交代がスムーズにできるのならば、そこにこそ価値があるのではないかと思っています。」というお話が印象的。これこそが、ナレッジマネジメントを取り組む意義なのだと感じました。(PRAZNA 佐藤さやか)

取材・文:早川大輝
編集:守屋和音/ノオト


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